博報堂の発想のプロに学ぶ!発想体質をつくる1DAYワークアウト

昨日、博報堂生活者アカデミー主催「博報堂の発想のプロに学ぶ!発想体質をつくる1DAYワークアウト」を受けてきた。10:00~18:00の8時間。しっかりとした講義だけではなく、ワークに時間が多く割かれており、「実践」の時間が多く有意義であった。

 

建学の精神

「今、イノベーションが揺らいでいる。」というところから話は始まる。新しい豊かさと幸せを生み出す目的が、資源と技術という手段よりおろそかになっているという。「人々の新しい発展と社会価値を生み出す」という根本的な目的は一体どこに行ってしまったのだろうか?私たちは、繁忙の中で翻弄されてしまっている。今こそ、「事業目的の復興」を目指すべきである。

 

イノベーションとは、個々人の「思い」を原動力に、生活から生み出されるものである。1人の人間であっても、「父親としての自分」,「社会人としての自分」,「音楽ファンとしての自分」・・・等、いろいろな側面を持っているものである。この多様な側面の全てからイノベーションは生み出され得るのであり、「全人格で発想するための体質を作る」ことが重要である。

 

学習フレーム

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これは、博報堂生活者アカデミーのロゴである。この絵が一体何を表すのか?それは、「生活者発想フレーム」の周回である。

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まず第一に、発想の資源となる「手がかり」をもつ。この手がかりは、多様であればあるほど視点を豊かにしてくれる。

そして第二に、「生活感受」→「意味発見」→「潮流解読」→「未来起動」・・・という思考のトラックを周回する。1周だけではない。何周も何周も回ることで、その思考は強固なものとなる。(クリエイティブ・タフネス)

このように、人間を「まるごと」観ることで未来を描くことができる。

 

スタイルと文化

「身体知」とは、自己の内側にある経験や意思との対話のことである。また、業種・職種を混同させることで視点をもらい合ったり差異を活かし合うことができる。身体性・多様性が重要となってくる。このような「文化的多元主義(サラダボウル論)」が、この度のワークでは大いに活かされた。

 

学びのゴール

学びのゴールとは、「根本知」の獲得である。根のない木に葉は茂らない。根(根本知)がしっかりしているからこそ、その木の葉(個別解)はいきいきとしたものに成長する。個々人がもつ「根」はイノベーションの源泉であり、暮らしの創造が利益の創造を生むのである。

 

ワークのポイント

今回のグループワークは、世の中にある事例集の中からいくつかをピックアップしてそこに潜む「ひとの欲求」「時代の兆し」について話し合うというものであった。グループ内の人たちは各々が異なった職種・業種であり、各々が異なった見解を述べた。

私は「故人を3Dプリンターで人形化する」という事例について、「不謹慎」というキーワードを挙げた。意味合いとしては、故人に対する想いを最新技術で具現化する時には「不謹慎」という概念はあまり重視されないのでは、という発想であった。

グループメンバーのAさんも同じく「不謹慎」というキーワードを挙げていたものの、その意味合いは私とは全く異なっていた。このような事例や、お葬式に見られるように、こういった場では「金額を気にする(安く済ませようとする)こと」=「不謹慎」に繋がる。これを逆手にとって、人々はこういった場には投資を惜しまないのでは?と「不謹慎ビジネス」なるものを提唱していた。この発想は、自分には思いつかなかったものの納得できるものでもあり非常に印象に残っている。

 

この話を聞いて、それこそ「なんて不謹慎な考え方なんだ!」と憤りを感じる人も居るであろう。しかし、ここでこそ述べておきたいのだが、今回のグループワークのポイントは以下の通りである。

・自分の直感・内心(主観)を重視する

・社会通念や常識、正しさ、緻密さ(客観)は考えない

 

とにかく、発想の原点としては「直感(主観)」が重要となる。こんなこと常識では通用しない・・・こんなアイデアまかり通るわけがない・・・そういった考えから入っては、発想が邪魔されてしまう。まずは客観的概念を捨てて、主観を重視することが大切である。だからこそ、前述のような発想が生まれ得たのではないだろうか。

 

おわりに

今回のグループワークでは、不思議といつもより多くの発言をできたように感じる。というのは、「直感」「自分本位」で話していい、というように何の制約もないまま、自分の思うがままに話すことができたからである。もちろん時にはこのような制約も大切ではある。しかし自由な発想をするには、「自分本位」であることが許される。むしろ、必要とされるのではないだろうか。

最初にあれこれの課題を考えてしまっては、その頃にはもう発想するだけのエネルギーが残っておらず弊害も多い。そうではなく、まず最初に「発想を飛躍」させる。「本当にこんなのが実現するんだろうか?」ということは後である。普段の生活の中から「こんなものあったらいいな」という案を貯めておいて、来るべき時にその案を小出しにして飛躍させるのである。

生活者としての発想がいかに大事であるか、ということを深く学ぶことができた。自分の生活に取り巻くもの、ありふれたものにも目を向けて、発想体質を作っていきたいと考えている。

 

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